アーサー・コナン・ドイルという人


アーサー・コナン・ドイルが何故ここまでこの妖精に引き込まれたのか。
息子の死をきっかけに心霊学にのめりこんだという説が一般的ですが、彼の血筋にも関係があったのかもしれません。
アーサーの父チャールズ・ドイル及び伯父リチャード・ドイルの兄弟はふたりとも妖精にこだわり続けた画家だったのです
チャールズは画家としては不遇のまま妖精の絵を描き続け、アルコール中毒とてんかんで精神病院に入りし、
不遇のまま亡くなりました。伯父リチャードは、当初こそ『パンチ』誌の売れっ子挿絵画家でスタートしましたが、
アーサーの祖父である風刺画家ジョン・ドイルの死から妖精画にのめりこみ、妖精画が不人気になった晩年でさえ、
妖精画を発表しつづけたそうです。写真の登場以前の19世紀イギリスでは妖精画が大流行していたそうです。
こういう環境に育ったドイルが自然に妖精にのめり込んでいってもおかしくはないのではないかと思います。
なんせこの私でさえも幼少に、これは本物です。と言われてそう思い続けてきて、今のめり込んでいるのと同じ事でしょう(笑)
実際、幼いアーサーに妖精の世界を教え込んだのは伯父リチャードだといいます。
リチャードは自分のスタジオに甥のアーサーを連れてきては妖精画を見せたり、
不思議な生き物たちについての話をしたりしていたそうです。

        
       ジャンプする妖精       
1920年にエルシーが撮影。カメラ機種"カメオ"
距離3フィート時間1/50秒。
乾板はあらかじめ2人の少女には内緒で
1枚1枚に印が付けてあるので
それが本物で事実であるというのがわかる。
妖精は下の木の葉から飛び上がってしばらくは
空中を舞うこと3,4回。
フランセスが自分の顔に当たりそうになったので
少しのけぞったところ。
この2枚の写真ともう1枚の写真は1920年に
ドイルのもとに送られたものである。
残りの1枚はのちほどお見せするが、
これがドイルによって世間にお墨付きで紹介されたから
賛否両論の大反響が起こった。
「非科学的だ」と批判する人、
「ケルト神話は本当だったのだ」と絶賛する人、
「トリックに決まっている」と息巻く人…。
妖精といえばケルト神話が有名。
ケルト民族はヨーロッパにおいて紀元前4世紀頃に
忽然と姿を現した民族で彼らは統一された国家も
文字も持たなかった。そんな謎のベールに包まれた
民族であるがゆえ色々な伝説が多い。
アーサー王やノアの箱舟など
英雄や神話にいたるまで小さな民族なのに沢山ある。
やがてはゲルマン民族に追われ
ローマ帝国によって滅ぼされていくのだが
今でも彼らの作り出した文化は神話や
ケルト音楽という形で根強く生きづいている。
                             
ヒヤシンスの花をエルシーに差し出している妖精

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